夢に感謝…情熱を絶やさない男の独り言!大石サイディングPR!


by h_ohishi
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7月31日木曜日

徹夜で仕事してたら、

お腹が空いたので夜食を!

カップラーメン食べながら、

メルマガ見て、涙です(泣)

本当にいいお話です。

「次女みのりへの
11年間のありがとう」

出産時、医者の出かけたいが為の無理やりな出産で生まれ医者は母子ともに危険な状態にもかかわらず、何の処置もせずでかけてしまいました。

赤ちゃんは肺に羊水などを吸い込んだままで呼吸困難になり運ばれるまで6時間以上たっており、運ばれる直前にみた、赤ちゃんは肺と胸のあたりがボコボコとなり、とても苦しそうで一刻を争う状態でした。

その結果、命はとりとめましたが、長時間の低酸素で脳に酸素がいかなかった為、脳細胞がじょじょに壊死していき生後5ヶ月で、一生寝たきりの重度障害児になってしまいました。

最初は、目もクリっとしていたのが、斜視になり顔も別人のようになってしまいました。

「絶望」ってこういう事をいうんだと心から思いました。

重度障害児になった事を身内に話をしてると、みのりが本当に悲しい声で泣いたのです。
一番、悔しく辛い想いをしてるのは、みのりなんだときずかされました。

「諦めてはいけない」

それからは、よいと言われる事はすべてしていきました。

それから1 年たっても首の座る傾向もなく、その上1歳半頃、食べ物を噛む事が出来ない為、口からの普通食は食べれないとの告知を受けました。

口から食べ物すらも無理…

あまりのショックに私自身はうつ状態になりました。

でも私には、励ましてくれる家族・友人・障害児のお母さん方がいました。

そして「必ず成長していく」といってくれたリハビリの先生と出会いました。

「不可能を可能に出来る」と言ってくださった人生の師匠もいました。

そして再び奮起してリハビリや食べる挑戦をしていきました。

そして「奇跡」を起こしました。奇跡は起きるものではなく起こすものなんだと実感しました。

2才になった頃、首が座り、斜視までも治っていったのです。

身体全体がくにゃくにゃだったのでおすわりも無理といわれてましたが、3才まえには、自ら身体を手で支えて座ろうする姿が見られるようになりました。

食べる練習は食べるという普通の事が、みのりにとっては危険をともなう為、毎食が戦いでした。

その日々の努力が実り、4才くらいには、刻み食が食べれるようになり自分で食べる練習もしていきました。

子供は子供どうしの中で育つ面がいっぱいあると思い保育所に入所させてあげたいと申し込みましたが重度障害児という事で、選考からはずされました。

納得がいかず、リハビリ所の先生方やお母さん達も応援してくださり、保育課とも何度も話し合い、市内で初めての重度障害児の入所受け入れ通知をもらいました。

保育所では、お友達に助けてもらったり先生方も色々と工夫をしてくださり出来るだけ、お友達と共に遊んだり行事にも参加しました。

みのり自身もいつも笑顔で保育所生活を楽しんでいました。
諦めずに保育所にいれてあげる事が出来て本当によかったと感無量でした。

年長組に進級するにあたり、新たな挑戦をしました。

当時まだ、つかまりだちがやっと出来るようになった、みのりが階段の上り下りに挑戦していきました。

家でも続け小学校に入ってからも毎日、続けました。現在、小学校6年生になりました。

小学校の間に歩けるようになる事が私の大きな夢でした☆☆☆

ランドセルを背負って歩く姿が夢でした☆☆☆

ちょうど1年前から歩けるようになりました(^^)v

歩きはじめた日、みのりが恐々しながらも必死に一歩一歩と歩いてくるのです。

あの時の光景は一生忘れる事がない「我が子の勝利」の姿でした。

この10年が走馬灯のようによみがえり、その場に泣きくずれてしまいました。

先生方も他のお母さん達も一緒に泣いてくれました。

お友達も拍手をして喜んでくれました。

みのり、生きぬいてくれてありがとう。

お母さんの夢を叶えてくれてありがとう。

厳しいリハビリも大泣きしながらも頑張り続け、階段の上り下りも素直に頑張り続け、今では上り下りがひとりで出来るようになりましたね。

普通食が食べれるようになりましたね。

「素直な心」で頑張り続ける事が「不可能を可能」に出来る事を教えてくれましたね。

「絶望」を「希望」へ変えれるんだという実証をしめしてくれてありがとう。

最後にお母さんの子供に生まれてきてくれて本当に本当にありがとう(^o^)

(母)勝田里美

=====

月末の忙しい時期に思わず家に帰って子供と会いたくなりました。(さっきも会いましたが)

自分がどれだけ幸せなのか…



よしっ!仕事しよっ!
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by h_ohishi | 2008-07-31 03:13 | 日記

7月27日日曜日

昨日は僕の誕生日。

24歳になった初日。

とんでもない気づきがありました。



昨日は朝仕事して、

昼から金沢商人塾第一講で「古の帝王学」を学んでいました。

簡単に紹介。

「昔の帝王学と、今の経営学は一緒だ!」

帝王学を学んだ事はなかったので、とても刺激を受けました。

その後の自己紹介が長引き、遅れて次のセミナーへ!

僕が会場に入った時はグループ討論の真っ最中。

びっくりしました。

口がぽか~んってなりました。

グループ全員で青年経営者がめちゃめちゃ熱き討論をしていたのです。

「おまえの考え方腹立つわぁ(怒)」

「一番根っこの部分、一番ベーシックな部分が大切なんちゃうか(怒)」

「いや、俺はもっと夢のある業界にしたいんやぁ!!」

終盤では、

「何で俺ら年に二、三会しか会わんのにこんな仲いいんやろな?」

「やっぱ離れてても同じ境遇で必死にもがいてるもん同士、共感できるんちゃうか!」



僕は昨日参加できてよかった!

自分とは比べものにならない熱き想いを持った人達と会えて!

「大石さん!名前覚えたよ!未熟者同士また語ろうやぁ!!」

なんて言われちゃいました!


その後はじょんから祭りの試し焼きの二次会へ行き、

皆さんに誕生日おめでとうって言っていただきました!



昨日はワクワクして、ぐっすり寝れました。

今日は朝仕事ちょこっとして、お客さんのショールームイベントのお手伝い!

昼からは子供とポニョを見に行きます(^O^)
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by h_ohishi | 2008-07-27 11:08 | 日記

7月25日金曜日

いやぁ~最近忙しいなぁ~(>_<)

うれしい限りですが(^O^)
今野々市では、じょんから祭りの準備で大忙し!

青年部員の方達は、みなさんバリバリ仕事のできるカッコイイメンバーです。

僕は不器用なので、仕事が山積みになり、なかなか手伝いには行けませんが、

昨日少しだけ顔出してきました。

全然手伝いをしていない僕を、とても暖かく輪に入れてくださいました。

その後は3時まで飲んで、いまだにお酒が抜けませんが、とても楽しかった!

あいにく今日は子供の夏祭りでお手伝いできませんが、

また来週からでもお手伝いしたいと思います(^O^)

そして明日はなんと、

僕の24歳の誕生日なのです!!

まずは母親に感謝!

お腹を痛めて産んでくれて、精一杯の愛を注いでくれたのに、今の僕は…

この24年間いろんな壁にぶつかりました。

その分たくさんの経験を積めました。

最近、先輩経営者のNさんに教えて頂きました。

『「大変」とは、「大」きく「変」わるチャンスなんだ!』って、

思い返せば、自分が少しでも成長できたと実感するのは、

「大変ダァーッ(泣)」

って何とか乗り越えてきたときだなぁって思います(^O^)

明日は母親に心から『ありがとう』と伝えたいと思います!!
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by h_ohishi | 2008-07-25 21:19 | 日記

7月21日月曜日

昨日は先輩経営者が主催するBBQへ行ってきました。

スタッフも若くて、ピチピチなゲストがたくさんでした。

僕は家族で参加しましたが、やはり海は体力を使いますね…

帰ったらバタンQでした(笑)

その社長はとにかく前向きで、

即実行型経営者とでも言いますか、

「あれしよう」「あれしたい」と思ったら即実行!!

とても勇気ある決断の連続です。

今回は海の家をオープンしたとの事で駆けつけました。

とても楽しい一日でした。

梅雨も明けて、

暑い夏がやってきました!!

今年中にどうしても達成したい夢があるので、

また頑張りまぁ~す!!
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by h_ohishi | 2008-07-21 17:30 | 日記

7月19日土曜日

昨日、今日とバタバタ忙しくてブログ書けませんでした。

先日の義理の弟との話をしたいと思います。

久しぶりに会うと、

ひげをたくわえ、とてもワイルドになっていました。

V6の岡田純一を少しごつくしたような感じで、

元ミスター辰巳というだけあって、

「イケメン」です。

彼の夢は…

バスケで渡米したいというとてもビッグな夢でした。(ビッグもスモールもありませんが)

はじめて会ったのは今から3年半前。

軽く話しかけるといきなり、

自分がバスケをしていること。

友達のこと。

夢や考え方を熱く語ってくれました。

ちなみに当時は妻夫木聡をごつくした感じでした。

いずれにしろ「イケメン」です。

彼とはいっぱい語り合いました。

とにかく熱いので、

話し出したら止まりません。

そしてお義父さんがまたカッコいい!!(お義父さんはまた次回)

夢だとか理想とか…

「そんなもんどうでもいい!!」っていう方もいると思います。

でもみんなが夢を持てずイライラしているんです。

本当は熱く生きたい!!

目標に向かって頑張りたい!!

そう思っているのに、成功している人を批判し、自分が一番だと勘違いする。

自分という世界から外に出ないのです。

義弟の悩みは…

特にありませんでした。

モチベーションを維持するのは難しいと思います。(1人では)

そう…周りに彼の熱意を消そうとする人がいるのです。

それで見失いかけていた夢にもう一度火を灯したい!!

ということで僕に電話をくれたそうです。

僕は嬉しかった。

これからどうしていいかわからない。

何を目標に生きていけばいいかわからない。

そんな時に僕を頼ってくれた。

僕は全力で彼の夢を応援したい!!そして頑張る彼の姿を見て、自分を刺激したいと思いました。

僕は義弟に言いました。

その夢を叶える為に、もっと考えようって。

少し先の自分を考えようって。

目標が大きくて、その過程が想像できなければ、挫折してしまう。

僕の痛い経験です。

そして全てをマイナス受信する人と一緒にいても全然ダメです。

常に自分を高めてくれる仲間を探すことだと思うって言いました。

どんなに自分を取り巻く環境が悪くても、

その中から可能性を見出し、計画し、実行する男を僕はいっぱい知っています。

結局、『あきらめるな!!』ということになりました。

そして『夢に逃げるな!!』ということにもなりました。

彼は自分に夢があり、その夢が誰よりも大きな夢ということで、

それだけで満足しているように見えました。

ライバルの努力も、幸せも、自分の夢には叶わないと、

叶えてもいないのに、ライバルを否定しているようで悲しかった。

でもそんな自分にお別れしました。

僕の夢パワーで、少しでも力になれればと強く、

熱く、思った僕ももうすぐ24歳のペーペーです!!

最後まで読んでくれた皆様に感謝します。

ありがとうございました。
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by h_ohishi | 2008-07-19 21:47 |

7月17日木曜日

最近暑いですねぇぇぇ…

何時間も野外に放置された車に乗り込むときなんて、

最高に勇気いりますよねぇ(笑)

昨日からパワーボード(ALC)を張ったり、

コーキングを打ったり、

塗装をしたりで、

結構外にいました。

暑すぎて、ぼぉーっとしてるだけで汗が全身から…

明日からは雨みたいですけどね。

今日は僕の義理の弟と語り合います。

なんだか悩んでいるようで…

そんな時が一番チャンスですね!!

明日のブログを楽しみにしていてください!!
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by h_ohishi | 2008-07-17 19:22 |

7月11日金曜日

なにかと忙しい1週間でした。(明日も仕事ですが)

僕は今、絶好調です!!

全身から夢エネルギーが湧いてきます!!

調子がいいと思っていたら、どんどん調子が良くなり、

やがて、絶好調にまでなりました。

やはり「肯定的錯覚は肯定的現実をつくる」ですね!!

僕はサイディングにかける思いでは誰にも負けていないと思います。

その思いをお客様にうまく伝えられているかはわかりませんが、

お客様からの発注が相次いでいます。

今得た「信用」を、実績を重ね「信頼」へと変えていく。

まだまだ走ります!!

自分の力のある限り!!

いやっ!!

自分の力以上の力を、経験を積むと同時に、

人の優しさ、冷たさに触れ、

今日よりも明日へとパワーアップしていきます!!



明日から2日間、弊社のお客様のショールーム展示会があります。

水廻りリフォームなど興味がございましたら、

足を運んでみてください!!


石川県石川郡野々市町粟田3丁目61番地

宮向建築㈱

076-246-5248

野々市町役場より徒歩10分

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by h_ohishi | 2008-07-11 20:49 | お知らせ

7月8日火曜日

今小松で打ち合わせにきたら、少し早過ぎて、本でも読もうとしたら、本がなかったぁ(>_<)

なので、メルマガ見てたら、おもしろい本の紹介があって、見入ってしまいました(^O^)

ご紹介します!

=======

『なぜ、人間は苦しみをのぞくために、他を変えようとするようになったか?』

天狗口調で書いてあるねん。

人間どもは、苦も厄もすべて外からやってくると思いこんでおる。

よいか、人間とは生き物じゃ。

生き物は、まず、おのれの生命を維持せなばならぬ。
それには、否応なしに他のいのちを食わねばならず、また逆に、他から食われぬようにせなばならぬ道理じゃ。

しかも、そのうえ、おのれのいのちを次の世代に伝える、つまり生命を伝播せねばならぬ。

そのためには、交配して作った種子をまき散らして繁殖するとか、もしくは、出産した子を育てるとかするわけじゃ。

そして、この生命維持と生命伝播に成功した種族だけが、今まで生のびることができた。

生き伸びるために、あらゆる生き物は、さまざまな形に進化をとげて来た。

植物や動物にとって、進化とは、たいてい環境に適応すべく己の体を変化させる作業じゃった。

とげをつけたり、粘液を出したり、つるを伸ばしたり、
動物は、首を長くしたり、耳を大きくしたり、身を毛で覆ったり、鱗で包んだり、牙を伸ばしたり、羽を作ったり、ヒレをつけたり、環境にあわせておのれ自身を適応させたのじゃ。

ところが、人間どもは横着な無精ものでな、おのれを変えずに環境を変えよった.

環境の方をおのれに適応させたわけよな。

野山を歩いて採集しておった食い物は、田畑を拓いて栽培し、漁したり狩りとったりしておった獲物は、牧場や養殖所を作って飼育し、その結果、身近な所に食料を確保し、好きな物を好きな時に、好きなだけ食えるようになった。

食う物の労苦を、環境を作り変えることによってのがれることが出来たということじゃ。

着るものにしても、はじめはイチジクの葉っぱで隠しておったのを、それだけでは寒いと、他の動物の毛皮を奪って身にまとう。

植物の繊維を紡いだ糸や蚕の糸で布を織り、それでもって着るものをつくる。

ということは、己自身に毛を生じたり羽毛を生やしたりせずとも、他の生き物の毛や繊維をおのれに合うように作り変えて、寒暑や外的から苦しみを免れたということにほかならぬ。

住まいにしても同様じゃ。
人間どもは、生きるためのいろんな苦労を免れるために、己以外のものと環境を、せっせと作り変えてきた。

要するに生きる苦しみも働くつらさも、おのれ意外のもの、他を変えることによって、免れてきたわけじゃ。

そうやって、進化した結果、人間どもは長い間に

「苦しみをのぞくには、他を変えればよい、苦の原因は他にある」という考え方を植えれられてしもうたんじゃ。

都合の悪いこと、困ったこと、わずらわしいこと、苦しいこと、辛いこと、みんな他のせいにする。

悪いことは他人のせい、
社会のせい、政府のせい、国のせい、外国のせい、自然のせい、はたまた神や仏のせい。

己自身は間違っておらぬ。
間違っておるのは、他人だ。

責任は他人にある。

とこう考える。じゃが相手も同じように考えるから、衝突し争いになり、ひいては戦争すら引きおこす。

これでは苦を作り出すことは出来ても、苦の原因など分かりはしない。

原因が分からねば、苦をのがれることは出来ない。

ここから大事よ~

苦しみも悩みも、実際はおのれ自身にある。

何となれば「苦しい」というて、その苦を苦しむのは一体だれじゃ?

おのれじゃろうが。

おのれ以外にはない。

おのれが苦しむ。

おのれの中をよう見るのじゃ。

さすれば、おのれの心が苦しんでおるのがよく分かる。

心が苦しむ、心が悲しむ、心が怒る、心が喜ぶ、心が楽しむ、そうじゃろう。

他人が苦しむのではない。
あの電柱が、あのカシの木が苦しむのではない。

おのれ自身が苦しむ。

まさしくおのれの苦しみにほかならぬ。

ならば、この苦しみを乗り越えるには、おのれ以外を変えてみたり、他のせいにしてみたところで始まりはせぬ。

まったくの検討はずれよ。
外側を変えるのではなく、おのれの内側、心を調べてみるしかない。

「苦しい」と思う心の動きをつぶさに調べてゆくと、奥の深いところに素晴らしく、絶妙な力が潜んでおることが分かる。

それを洞察さえすれば、些細な苦悩や災厄なんぞ、雲散霧消し吹き飛んでしまうわ。

以上、これが般若心経の「度一切苦厄」の意味やねんて。

環境を変えることが悪いということではなく、今の自分の考え方はそうやって、生まれたということを知りなさいね~っていうことやねん。

いやぁ深いね~。

これから、いろんなことが起こる可能性が高い。

大事なのはそれに対応する心を育てることやね~。

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by h_ohishi | 2008-07-08 14:35 | 日記

7月7日月曜日

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『夢は必ず叶う』

そう思い込み、暑さには熱さで打ち勝った月曜日でした!

今日も暑かったですよねぇ(>_<)

暑い中現場安全パトロールでした。

だんだん忙しくなってきて、嬉しい悲鳴です(^O^)
(上記PHOTO)は現場切断小口面の塗装が欠けてしまうので、しっかり補修塗料を塗布している写真です。

塗膜はマイクロガードというセルフクリーニング機能のついた塗装で、雨で汚れを落としてくれる優れものです。

初期費用は上がりますが、メンテナンスなど長期間で考えると断然お得ですよ(^O^)

車やスーツも一緒ですが、長く永く使用するにはメンテナンスが必要不可欠です!!

まぁそれを提案していくのが僕たち外壁屋の仕事なんですがw(゜o゜)w




CHANGE#9面白かったなぁ(^O^)

いよいよ最終回ですね(>_<)

総理は無事なのかな?

楽しみです!



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by h_ohishi | 2008-07-08 00:12 | 日記

7月6日日曜日

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昨日取引先の方に習ったトランプマジックを練習してました。

昼からは家族でおいしいシュークリームを食べてきました!

『あきらめなければ、夢は叶う。

夢は逃げない。

夢は逃げない。』

今日は実話の素敵な話をご紹介します。





かなり長いです♪
-------------
ピートグレイさんは、1917年、ペンシルベニア州、ナンティーコークというところで生まれました。

彼は機関車と野球が好きな普通の少年でした。
ある日、父親に連れられて、大リーグの試合を見に行きます。

ニューヨークヤンキースが大好きだった彼。
ヤンキースタジアムで見たその試合。
ヤンキースの攻撃、9回裏、2アウトランナー1塁、1対 0、ヤンキースが負けていました。

少年ピートは、隣にいるお父さんにいいました。

「パパ見てて、僕の大好きなあのバッターが必ずホームランを打って、さよなら勝ちするからね、きっと見てて、勝てるよ」と、お父さんはニコニコしながら彼を見てました。


果たして結果はどうなったか。

運命のいたずらとは恐ろしいですね。
ピートの予言通りに、本当にさよならホームランが出たんです。
ヤンキースは見事、さよなら勝ちをしました。


その試合を見たピートは感動しました。

そして、この日から大リーガーになることを夢見て、努力を始めました。


大リーグの世界、知ってびっくり。
下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」やっと大リーグになるんです。


彼は大リーグを目指して、それはもう「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。


6才の時ある事故により、野球を断念しようと思いました。
その時お父さんが、彼にかけた言葉、

それが

「諦めるな、やればできる」でした。

ピートは、お父さんのその言葉だけを、胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。


草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえませんでした。


しかし彼は不平をいわず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習しました。
そして、そのかたわら、野球学校へ通いました。
野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けました。

どうなったか? ピートはことごとく、入団テストに落ちてしまったのです。

そして、ピートはどうしたか?

諦めませんでした。
お父さんの言葉通り、諦めませんでした。

そして、雨の日も風の日も、黙々と練習を続ける彼の姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました。

先生は、全米のDリーグの監督に電話をかけました。
「うちにピートという、熱いやつがいる、見に来てくれないか、お願いだ」

その電話に触発され、Dリーグの監督が集まってきました。
そしてピートの晴れ舞台です。
そこでピートは全力でプレーを見せました。


どうなったか?


どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。


ピートはどうしたのか?
打ちひしがれたのか?
いいえ、それでもピートはめげませんでした。
一途に努力する彼。
当然、幸運の女神が見はなすはずはないんですよね。


24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、

「ブッシュウイックス」から声がかかりました。
彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」喜んで入団しました。


そして、そこで、素晴らしい成績を残しました。
こういう活躍を見てるひとがいるんですよね。
その活躍を見ていた、マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が大抜擢します。


そして、何とピートはこの「スリーリバース」で打率3.81。
素晴らしい成績を残します。
このような相次ぐ大抜擢にも、全くおごること無く、努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。

1943年、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格、そして彼は、ついにこのチームでMVPを獲得しました(打率333、盗塁68) 


そして、ついに夢の叶う時がやってきました。
1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」がピートの採用を決定しました。

そしてピートの初打席です。

彼は大きく息きをすって、バッターボックスに入りました。 
1球目、空振り、2球目、空振り、3球目、


空振三振

ピートの初打席は、三振に終わりました。


でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。 


おかしいですよね??


三振して拍手なんてあり得ないですよね。
その球場の観客達は、そのピートの姿に、釘付けに、されていました。


実は彼は、6才の時の事故で、右腕を根元から切断されていました


大好きな機関車を見に行って、その下敷きになったんです。

泣きじゃくるピート。

6才にして、片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉、

それが

「諦めるな」

だっだのです。

お父さんはこう言いいました。


「あの時、もしも彼から野球という夢まで奪ってしまえば、もう彼には何も残らない。「諦めるな」と言うしか、他になかった」と。

そしてその言葉だけを信じて、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない、ずーと入団テストに落ち続けた、その苦い思いを乗り越え、営々と努力し続けた彼。

その偉大な三振に観客は惜しみない拍手を送りました。


でも彼が大リーグに採用されたのは、時が遅かったんです。

寄る年並には勝てず、彼は1年でその生活にピリオドを打ちます。

そして故郷に帰り、少年野球の指導をし、87才で生涯を閉じます。


彼が亡くなる前、我々に残した言葉があります。
この言葉で締めくくりたいと思います。

「私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。


そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、もっとも素晴らしい出来事だったと思います。


自分のような、体に障害をもつ者にとって、練習こそが全てでした。

でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスは

わずかなものでした。


ある時こう言われたことがあります。


「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、片腕で野球なんかできるわけがないだろう」


それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。

最後に好きな言葉を送ります。

『勝者は決してあきらめない。』」

ピートグレイ

=====

どんなに辛くても、

どんなに悲しくても、

僕たちは諦める訳にはいかないですよね!

『夢を諦めるな!』

僕は自分に言い聞かせ、息子にも伝えていきたいと思います(^O^)
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by h_ohishi | 2008-07-06 22:43 | 日記